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「蝉|主|モデル」と榊造調整の政1台経済学

ドキュメント内 韓国の経済開発と労使関係 : 計画と政策 (ページ 55-73)

lはじめに

純|正|がlu1立直後のアジアの貧しい-農村社会から新興工業'五Iの域へと一挙 に駆け上がった経済|)}1発の成功例であることは、もはや誰も否定することは できない。しかし、その林'五|の経済発展も決して1'Ⅱi調なものではなかった。

1970年代の2度にわたる石1111危機とそれにつづく先進諸|玉|のスタグフレー ションとM7i金利の形響を受けて、大半の発腿途上|辺|は|玉|際収支危機、インフ レーションの激化、低成長、そして累積債務という政治経済危機に見舞われ た。製造業,liil,輸出をテコとしてi#j度成焚を速成してきた発展途I1l玉|の優等化 韓国もまたこうしたツト的ショック〃から|]111ではなかった。と')わけ70年 代後半の鮴国はインフレの力Ⅱ述、国際」|)(文の悪化、対外債務の巣積という形 で馴著にこうしたlIIl題に}'1,くわした。80年には独立後初めてのマイナス成長 を記録し、81年にはブラジル、メキシコ、アルゼンチンに次ぐ11界第4位の 債務lJilとな')、木'11;'有の政治'1<j・経済iIWiZ機を迎えた。

しかし1979~82イドの俄務危機に対する柿|Ⅲ|の榊造調整の成果は、これまた '=|覚ましいものであった。ラテンアメリカ諸|玉|とは対11((的に、成艮の職牲を 最小限におさえることによってインフレの減速、|型|際収支の改稗といった調 整を知j0lllllのうちに達成し、86イドまでに債務負担は大きく減少し、貿易収支 は黒字に!|i云換した。鮴|玉|は、包括的な訓幣政策とさまざまな構造改芯をもっ て、速やかにこうした諸'''1題に対処しえたのである。かくして林国の経験は 経済発展の成功例としてばか')でなく、榊造調整の成功例としても開発経済 学に対してあらためて大きなインパクトをノノえることになった。本章は長)01 開発)lUb略モデルとして形成された蝉|玉|モデルが、「成長指向榊造調整」モデ ルとして読み直されていった識論の跡をフォローするものである。

節2歳「iIiilkl玉|モデル」と榊造調)Wfの政WL1経済学45

2輸出指lfil二[業化モデルとしての糊玉|の経験

韓国の労働集約的Iiiiiilll,指lhl工業化戦略への転換は、|#1発戦''1#としての「韓

|玉1モデル」のプロトタイプを形成するものであった。

しかしまもなく、輪''1,桁|(i'二11業化戦略が輸入代替=[業化llUC略にとってかわ るべきすぐれた政策であるという点にほとんどの|#1発経済学料が合意しなが らも、輸出指lfil工業化llUb略それだけが所得分lIiuの悪化を伴うことのない高度 成長を鯨国にもたらした要|Alではないという点が論じられるようになった。

これまでの多くのWl:究がすでにさまざまな要因を指摘している。そのうち大 方の支持を得ている主要な要lklは、①高い教育水準によって裏打ちされた安

{illiで良質な労働力の矧博;なイ1Mミ、②経済|}'1発遂行への強い懲志と実行力を 伴った政府とすぐれた官恢のリーダーシップ.、および③良好な|玉1際環境の3 点である。またこれらの要lklに付け力|'えて、初ノリ|条件としての、④イ11対的に 平等な資産配分をもたらすにあたって決定的な影響を及ぼしたここ地改革と、

⑤1950年代におけるアメリカからの膨大な援助の役;!;'1、が指摘されている。

とりわけ新たに強訓lされるようになった点は、経済|リト1発にあたって政府の来 たした決定的な役割であり、またlilil家介入のあI)かたである(Sen[1981]、

Datta-Chaudhuri[1981]、Bradford[1989])。

「輔|正1モデル」をめぐるもう一つの大きな論点は、|iii出指|イil正業化戦略の 内容と解釈をめぐるものである。mlll危機後のIU:界不UiLと先進資本主義諸|玉|

の保護主義の高まl)を背景として、輪'11,桁lfT11lト|発)lUUl1#の有効性に疑lIIlを呈す る「輸出ペシミズム」論が新たにiリI)き起こってきた。アーサー.ルイスの ノーベル賞受賞記念識減(Lewis[1980])はその先Wiljをなすものである。こ うした流れの111でストリーテンは、③輸入代稗)|UCI'1%の失敗は、jliiii入代替産業 と輸出折向産業との'''1の資ilMB分の誤l)、あるいは資Ⅷi(配分の誤りによる非 効率によるものではなく、jliii入代替産業に配分された盗源の非効率的な利)'1 によるものである。経済|州|苑にとってよI)重要な'''1題は、総尚の質、規模、

技術、生産榊成、製,1,1,デザイン、教育の型、労働者のリクルートと訓練、管 1111に関する意志決定である。外lfili19な110t略と|ノ11(i1的な11Ubll(とのメリットの検

46第1補jIUltl正|の]i業化と政治体Ilillの展M}1

証は、IIfljl1川での資iliil1I1U分能ノノという槻ノ,!Xからではなく、国内盗源・技能の

、11員能ノノおよび'111発のための総|K|・態度・Ilill度をiiIi性化する能ノ」という棚ノA〈

から行われるべきであると論ずる゜またクラインの繊論(Cline[1982])を 受け継いで、⑥すべての国が台湾・韓|巡|と|司様の輸肥'パフォーマンスを記録 したならば、その結采先進諸'五|のlliiii人障lIirが商まり、途_|」正|の交易条件は悪 化するであろう、とした(Strceten[1982])。ストリーテンの批判に対して 輪'11,指|(il戦IIlhの蚊も積トリM19なlIl1Ijij[稀の一人であるバラッサは、ストリーテン の批判は「案lll子を攻撃するに等しい」、なぜならば、外向的戦略は|正|内11i 場lfilけ生産と外|正lTIj場|hlけ4Mkとが等しいインセンティブを受けているか、

それとも輸入代替がjWiiill1lよ})も優遇されているかのjll1述であるからである、

とした。そして「稗lEl・台湾.シンガポールではjliiiillI,'Ii11と輸入代杵,IiiI1とに等 しいインセンティブが供与された。もし』血切な唾|内政策が採)11されるならば、

輪}11,拡大と効率ilり)|iii入代替は|而1時に進む。外|(iliIり戦''1升の孫111は第1次産業の iiIi勅を'111害するようなバイアスをイiするインセンティブIlill度を除去し、した がってこのようなインセンティブIlill度の変更は節1次産,'ii1,輸出と輸入代替の 双方を促進する」と論じた(Balassa[l983a])。またクラインの批判に対し てはレイニスが反ルヒ判をノリⅡえた。すなわち、クラインはⅡ〔アジア・モデルを

「できるかぎ')多く輪lII1する」モデルとしてI1l1l1iギしているが、これは誤りで ある。そうではなく、】〔アジア・モデルは「できるかぎり速やかにTlj場'二llll 化の力|(,|へと移行した」モデルである。すなわち、異なった途Iil正|はそれぞ れ異なった時点に異なった種類の商,li11をノ|i産しながら、それぞれの製造業l1ii11 のjliiiiilIl,能)]をI愛得することができる、とした(Ranis[1985])。

この論争はjliiiillI,指lfil)lublI1汁の定義をめぐって起こったとも''1ギ釈できるが、バ ラッサーレイニスによる定義のZZ当性はjliiltl正|のjliiiilIl,指lhl1IUUI1什の|ノ、1窯が具体(1<ノ にどのようなものであったのか--すなわち「liiiii肥,と輸入代替に等しいイン センテイブが」jえられた」のか、それとも「jliIiI,'1',節一三iミ義」であったのか

-という点にも大きく依存せざるを得ないであろう。

輪llj,促進かそれともjliilii人代株かという二分法を批判してサックスは資iIIilNd 分を考えるにあたっては少なくとも輸入恥輸llllM、非貿易財の三助モデル を考えるべきだとした(Sachs[1985])。Iiiii入11イとjliiiiiII11llイしかないニセク

第2章「柿llilモデル」と術造訓l軽の政if}経済学47 ター・モデルでは輸入競争Wllll「|の附幽は必ずlliiiiilIll部'''1を打lkすることになっ てしまう。ここでは保誠とii義は輪Ⅱ',をllll害するものでしかない。なぜならば 武川i(は輪ll11I1イからリ|きllIlされ輸入I|イヘと'1ノM'されざるをえないからである。

しかし三財モデルでは、もし資Ⅶi(がJ1:貿易11イからリ|き{'1,ざれ輸入11イと輸出財 という双方の貿易財部|Ⅱ1へと流れ込むとするならば、保謹二ii義政策はjliilii出促 進政策と並1了して進めることができる。実際、’1本・林|玉|・インドネシアで は多かれ少なかれjliiiii人競イ'11イ部''11は保護されながら|両1時にjliiiiilIjIは急速に伸び たのである、と論じた。タト|(,1的戦''1#あるいはDIiiiiIlI,促進)Iik略の定義に|奥Iしては 論判によって相当の1W11釈の相述がみられたが、3Miでは一応「全体としてあ るいは平均して柿lIWiとlliiii人代枠,1,11,とに等しいインセンテイブを与える貿易 Ilill度」というバラッサの定義が大ノノの合意を得ているように思われる。バグ ワチはバラッサの定義を受け入れる形でよりJMI|;な定義づけをしている (Bhagwati[1987])。バグワチはまず、jliiliilllllfilfT111UUlI什(以-1,.EPllUilll#と略記す る)は「輪''1,主導成腫」あるいはまた生産11杣||の柵収要素を「輪Ⅱ1,成長」と

「jliiii入代稗」に分ける習Il1I〔「Iりな分緬とはほとんどuM係ないとした_上で、それ は「|玉|内Tlj場が外'五Iilj場よりも有利にならないことを保証するII1i格インセン ティブを設定すること」であると定義した。換言すれば、Iiiii出品に対する実 効為替レート(EPPx)がIliiiii入,IF,に対する爽効為杯レート(EPP、)木iil'1jであ ることを意||ノkする。つまl)もしEPPx<EPI),uであれば、|玉|内市場|('Iけ販売 が外国市場|filけ|仮売よ')もよ')大きな収入をもたらすということを意味し、

したがってIilli格インセンテイブには「輪Ⅱ1,を'111害するバイアス」があるとい うことになる。EP1lUi略では、こうした輪H1,を'111害するバイアスが逆llizして いるかあるいは欠!(Ⅱしてお|)(すなわちEPPx=EPP、)、したがって圧||ノリ 11J場向けIlX光と外圧lTlT場|{,|けI収売に対応したインセンティブを」ノえるので

「''1立的」である。他力、EPPxがEPPmをイⅡ当幌度に_|」Ⅱ|る場合は「超輸llj,

促進l政略」と呼ぶことができる、としている。ついでEP11Ui略のイメージを よ')具体化するものとして次の5ノMを指摘している。すなわち、①上記の定 義は「平均インセンティブ」に|兇|述したものである。EP戦略の'11では若二「

の産業はjliiiii人代枠的でありうる(すなわちEPP、が平均EPPxを」二lIlる)。

EP戦略あるいは超jliiiiIl1,促進戦1116は逃択された分Wでのjliiii人代替を排除する

48第1淵軸|H1の]二業化と政治体IIillの腰|#l

ものではない。これは実際に束アジア途」二匹|が採川したものである。②EP 11Ui略を政府介入の火山Ⅱと|司一祝してはならない。実際、香港を除いて束アジ ア途-k|玉|は経済lll度に対する政11<l:の顕稗な介入によって特徴づけられる。む しろ政府の介入はEP戦略を成功させるうえで大きな{llliIl〔を有している。③ インセンティブで定義されたEP1lUiIIlifは「輪I11,主導」成長とは区》''されなけ ればならない。④EPIUt略は貿易インセンティブに供l連したものであり、

EPllUill1if採111|正|が外盗政策でも|司様の)lUbll1#を採)|'しなければならないという ことを意味しない。貿易と外資の外向111は異なったりil象である。⑤インセン ティブのパターンは貿易政策だけでなく為替レート政策の絲果でもある。

パグワチの識論はサックスのそれとほぼ同一であI)、また「姉lElモデル」

についての近イ|<の解釈一すなわち特定》if業での輸入代替の追求の可能性を 認める、および'玉|家介入の役;ljllを]i机する-を裏付けるものとして注|=|さ れる。

3jliiiill」,指|句経済と外的ショック

輪'11,折向llUill1升をめぐるガリ3の'''1題は、jliiii川Hlhl経済は外「19ショックによ')

脆く、対外経済環境の悪化によって内|(il的戦''1#よ')も大きな悪影糾を蒙るの ではないのかというIlIl組である。従属論打を'''心にして「外lfil的|Ⅱ|発戦''1%は 世界経済の状態が恐化した時に|ノリlfil的|#1発戦lIifに対する優位を失うであろ う」という形で、すでに数多くの批判が行われてきた。1973年以降にみられ た石1111危機とうちつづくIML経済不況の波は「柿国モデル」の有効性を'''1い ilLlごす格好の検証の場となった。良好なIRI際環境が失われたIIiIiさ、はたして「輔 国モデル」はなおモデルたりうるのか?

この''1|題に対して最も機種的にIUl「究を進めたのはバラッサを'''心とする世 界銀行スタッフである。彼らは「外的ショックに対する各発展途_上国の政策 対応」の杣述という観点から精力的に研究を推進した(Balassa[1981]

[1982][1983b][1984]、Balassa&Williamsoll[1987])。この一巡の研究の ''1から以下の諦点がIリ1らかにされた。

(1)1973~78年の外的ショックに対する政策対応をみると、途上|劃'''1で大

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